聖天祭に託す思い

第2章 ご縁の組み立て方 ~聖天祭、企画の道のり~
2018.11.07
祭りのビジョン
ご縁の流れに乗り、聖天堂が無事に改修落慶。次はご寄進いただいた皆さんの思いに応えるべく、このリニューアルしたお堂をいかに意味あるものとしていくか…。
仏教界を見回してみると、こうしたお堂で何か仏教的な行事をする場合、その仏様の縁日に、法要や祈祷会をすることが多いようです。僧侶が法要を勤め、そこに檀家さんや地域の方が集まり、その後は茶話会をしたり、食事を囲んでから解散という懇親の場も設けられます。それは勿論意義ある行事かと思いますが、気になるのはそうした場に集まる方々の年齢層です。大概は各家の家長クラスの方が参加しています。そこでは檀家、信徒という各組織内のお役目として、または、やや強制力の働く中で、各家の責任ある立場の方がやむなく集まっているということもあるようです。
海禅寺にも檀家組織がありますので、仮にこうした伝統的なスタイルの行事を開催したとして、各お檀家さん方は一つの“協力”として参加はしてくださるでしょう。しかし私には、そこに広がりの乏しい、消極的な行事のイメージがありました。せっかくこれから新しく始める行事なのだから、これまで海禅寺に縁のなかった皆さんも、世代を超えて、思わず来たくなる時間と場を作りだせないか。そして魅力ある“お寺らしさ”とはいったいどんなものだろう。そんなことを考えながら、県内外のいくつかのイベントへも足を運んでみました。
またSNSを眺めてみると、巷には週末になると全国各地で様々なイベントが開催されており、多くの方々が自分の時間を有意義に過ごそうと、そうした場に足を運び、そしてそこで得られた満足感を投稿しています。そうしたある日、インターネットでたまたまあるフリーマーケットが大盛況であるという投稿を見た時、私の中で修行僧時代に京都の東寺で見た『弘法さん』の景色が浮かんできました。
『弘法さん』とは弘法大師空海さんのご縁日である毎月21日に、東寺の境内地で開催されている門前市です。文字通り世代を超えた大勢の老若男女が、東寺の境内地を行き交う様が、深く印象に残っています。訪れる人にとって、お参りが目的か、はたまた買い物が目的なのか、本当のところは人それぞれでしょう。しかし一年の内でたとえ一日限りのことであっても、人が集う活気溢れる場が実現できれば、そこを始まりとして寺本来の持ち味を様々に発揮できるのではないか。そんな夢を描きました。
幸いに海禅寺は門前にフリーマーケットができそうな駐車場スペースがあります。聖天堂にお参りをし、門前市を楽しんでもらおう。祭りのおおよそのイメージが固まりました。
ご縁の基礎
向かう方向が決まったこの段階で、海禅寺檀徒の役員で組織する「総代世話人会」において、祭り開催の動機とその内容について、私の思いも含めて説明を尽くし、全面的な協力をお願いしました。幸いにも役員の皆さんは満場一致で共感してくださり、かくして「総代世話人会了承」という旗印のもと、祭りの企画内容についてより具体的な検討が始まりました。
ところで、当時から意識していたことですが、今振り返ってみても、この段階はとても重要なポイントだったと改めて感じています。というのも、単に寺でフリーマーケットを開催することが目的であれば、わざわざ総代世話人さん方の了承を得ずとも、友人や出店のできる知人の方々に声をかければ、それだけでも行事としては開くことができたと思います。しかし、当初からそこを目的とはしていませんでした。
真の目的は、この祭りを介して多くの人が寺に集まり、楽しみを元としながらも寺と仏教の価値に出会い直し、かつ地域の縁を始めとする人と人との縁が、あたたかく繋がり合い、そして祭りという一日が終わっても、その後によい繋がりが広がっていくことを思い描いていました。であるとすれば、まず大切にすべきはこの「海禅寺」に今繋がりのある輪を大切にし、そこから始めたいと考えました。そしてその核となる方々こそが、お檀家さん達の中で年間を通じて中心的なお役目を果たしてきてくださっていた、総代世話人の皆さんでした。
またそれまでに、他のお寺での取り組みをあれこれと聞いている中で、あるお寺の失敗事例を聞いたことも、実はこうした思いに至る一つのきっかけでした。それは、よかれと思って寺主導で独断的に進めたある新しい行事が、「若い住職が勝手に何かやっている」と、お檀家さん方の反感を買ってしまったというものでした。全国に数多ある寺院は、主に各地域の皆さんとの深い結びつきの中で、その必要性が重んじられていたからこそ歩んでこられました。であるのならば、こうした地縁を基礎にすることが、次の広がりが着実なものになる礎となるのでしょう。
かくして「聖天祭(しょうてんまつり)」と名付けた行事の実行委員会は、総代さん2人と、寺のご近所でかつ自治会に顔が利く世話人さん、そして数人の檀家さんで組織され、祭りに向かって動き出しました。