聖天祭に託す思い

第4章 ご縁のこれから ~非日常から日常へ~
2019.01.27
かき混ぜ棒
たくさんの皆さんの支えの中、徐々に広がりを見せている聖天祭。私はこの祭りの一日は、“かき混ぜ棒”のような働きがあると思っています。日常の中で沈殿している思いや繋がり、そして地域コミュニティの雰囲気を、聖天祭という一日がかき混ぜることで、その停滞状態をよい方向に調整する。例えば、時間が経過して水と分離して沈殿してしまったカルピスを、かき混ぜ棒で混ぜておいしい状態に整えるような、そんなイメージです。
聖天堂を核に人が集まり、日常生活の中で忘れてしまいがちな自分にとって大切な願いを呼び起こし、一心に祈る時間を持つこと。そして祭りの時間を楽しみながらも人と人とが出会い、繋がり合い、そこで得た縁やよき気づきを日常に持ち帰ってもらう。年間365日あるうちのたった1日ではありますが、寺という場を開放することを通じて、地域の人と人との輪があたたかく大きく広がっていく渦を作り出す。そんな地域の調和を生み出す、かき混ぜ棒のような祭りでありたいと考えています。
祭りの後に
聖天祭が終わったおよそ1週間後、慰労会を兼ねたスタッフ反省会を寺の一室で開催しています。記録担当スタッフが細やかに撮影してくれた当日の写真や定点カメラの映像を見ながら、各所での感想や反省点をあげていき、意見交換をします。そして可能な限り具体的な改善方法まで話を詰めて、次回に活かしています。
例えば、来場者にとって外トイレの場所がわかりづらいという声に対しては、トイレ脇に目印となる幟旗を立て、更に会場案内図を作成して配布しています。また、小さい子どもを連れたお母さんから、オムツ交換や授乳のスペースがないかと尋ねられたことに対しては、専用の小さなテントを一張り設置しました。祭りの最中に気付いた問題点をあげ、それを皆で話し合って解決していくという前向きなプロセスに気持ちは盛り上がり、会合の場は熱気を帯びていきます。
かくして慰労会、つまり飲み会は大いに盛り上がり、スタッフの絆は年々深まっています。また、この絆は、年間を通じてことあるごとに海禅寺を支えてくれる力にもなっています。
そして祭り後の1ヶ月ほど経った頃、「まんだらまーけっと出店者交流会」を開催しています。出店者の皆さんはユニークで魅力的な方たちが本当に多いのですが、祭り当日はどうしても自分の出店・販売・撤収の作業に追われ、出店者同士が繋がり合う機会は乏しいのが現実です。それならばと、そんな出店者同士が繋がり合う場を作ろうと、毎年企画し開催をしています。もちろん全ての出店者が集まるわけではありませんが、境内地という環境も手伝ってか、歓談の合間には仏教やお寺に対する素朴な疑問の投げかけや対話が生まれています。
ご縁の渦の中で
ここ数年、聖天祭以外の日常で出来ることを考えています。テーマは「聖天祭という1日に立ち登ったエネルギーと、寺と多くの人たちとの間で芽生えた繋がりをいかに日常に広げていくか」。特には「まちのお寺の学校」プロジェクトに賛同する中で、寺という場とその機能を多くの人たちに届けたいと、様々な試みを重ねています。聖天祭で縁のできた方たちの発案により生まれた企画も少なくありません。(これまでの講座一覧)
また今、地域包括ケアを進める「認定NPO法人 新田の風」との連携も模索しています。これは海禅寺がある新田自治会から始まった取り組みで、在宅医療を務める医師を中心に、薬剤師やケアマネージャーなどの専門職者、そして地域住民が連携し、“安心して老いを迎えられるまちづくり”を進めています。私も理事の一人として、また何より一住民として、力を尽くしたいと思っています。
超高齢化社会の中で医療機関が支えきれなくなった“老い”を、地域全体で伴走しようという挑戦。ふれあいサロンなどの寄り合いの場作り、よろず相談所の開設、上田市が誇る“かかりつけ薬局”制度の活用、独自のエンディングノートを始めとする個人の意思を尊重する仕組み作り。そうした中で、寺と僧侶が果たせる役割は多分にあると感じています。
聖天祭という一歩から7年が経過した今、様々な可能性の景色が開けてきています。この原動力となっているのは、やはり祭りをきっかけにできた様々な人と人との繋がりです。寺という場、そしてその存在が活きるのは、やはり人があってのことです。こうした活力が基礎にあるならば、大きく移ろっていく現代社会にあっても、寺と僧侶のできることは多岐に広がっていくことでしょう。さあ、まだまだこれからです。
